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はじめよう 二人で

しょうがないじゃん、好きなんだから。©︎堂島孝平

自担が王様のブランチに出演しました。

 

 

先日、自担がTBS系情報バラエティ番組「王様のブランチ」に出演した。彼は「ブランチごはんクラブ」という、テーマに沿った食を巡るコーナーに出演したのだが、そこでの食レポが意外にもファン以外の方から好評だったようだ。

 

 

堂本光一食レポ、雑すぎて逆に好感持てる

 

堂本光一君の正直なとこいいなー

興味のないことに無理に合わせたり媚びない潔さがめっちゃいい。

 

堂本光一いいなあ
変にかっこつけたり料理の味付けがとかやいのやいの言わずうめえ!!ってガツガツおいしそうにたのしそうに食べてていいなあイケメンすぎ

 

 

いくつか見かけたツイートを引用させていただいたが、思ったことをすべて正直に言ってしまう、彼の食レポ(と言えるかは謎だが)が好評だったようである。

 

 

まず、コーナーのオープニングから、光一イズムは全開であった。今回のテーマを聞くや否や…

 

「興味ないですね〜〜」

 

 

さすが、の一言である。グルメロケだと言っているにも関わらず、初っ端から食に興味がないことを正直に言ってしまうあたり、さすがとしか言いようがない。

 

 

そして、お店を巡り始めたのだが、さらに彼の歯に衣着せぬ発言は続いた。

 

 

行列ができるお店に行き、

「行列並んだことない」

 

珍しいジュースを飲めば、

「なんやろな〜、、、(味が)気になったら飲めばいいんじゃないですか?」

もはや味を伝える気のないコメント。素晴らしい。悔しいが、逆に味が気になり、飲んでみたいと思ってしまった。

 

パンを食べれば、味の感想の前に、

「パンのかったいのが歯茎の裏に刺さる」

とコメント。分かるよ、分かるけども。まず味の感想を伝える、という食レポの概念を覆すコメント。

 

パスタを食べにいくと、一緒に出て来たコーヒーが気になり、パスタを食べる前にコーヒーを飲み、お店の方に「パスタの方を、、、」と言われる始末。安定のマイペース。

 

とうもろこしでできたおかゆ、グリッツを食べれば、

「俺はそんなに興味ないかな」

とバッサリ。潔すぎて、むしろ清々しい。

 

3軒目のお店に至っては、食べる前に、

「お腹いっぱいなんだ俺」

隣に来日したシェフとオーナーがいるにも関わらず。堂本光一、強い。

 

 

このように、光一らしさ全開のグルメロケだった訳である。

 

 

彼の、すべてを肯定する訳ではなく、素直に正直に感想を述べる食レポが、視聴者の目には新鮮に映ったのだろう。

 

 普通に考えれば、すべてに対して「美味しい」と言いながら食べるべきであるし、味や食感を視聴者に全身全霊で伝えるべきである。それがグルメロケであり、正しいとされている食レポであるはずだ。

 

 

彼のグルメロケ、食レポは一般的なルールに反しているものであるし、一般的な概念を覆すものである。

 

だが、これが意外にも好評であり、視聴者から好感すら持たれている。

 

これは、彼があれこれ言いつつも、逆に嘘がなく信頼できる「美味しい」をしっかり伝えられていたからではないだろうか。

 

本当に美味しいと思ったものはどんどん箸を進め、あまり感想を述べずとも完食し、味や食感を伝える食レポでなくとも、視聴者に「食べてみたい」と思わせるグルメロケであったのではないだろうか。

 

 

堂本光一さんの食レポが面白かった。食レポとは何かの根底を覆す画期。つまりは「このお店行きたい!」と思わせることで、味や食感を語るだけではない。食に興味ないとか、並ぶぐらいなら空いてる店に入るわとか言いながらも、いかに美味しいかを伝えていた。伝えるとは言葉だけど、それだけではない。

 

また、ツイートを引用させていただいたが、まさにそうである。

 

 

加えて、文句に近いようなことを言いつつも全く嫌味がないのは、彼の持つ上品さ、これまでの実績、要所要所でみられる気遣いやスマートさによるものであると思われる。また、気品のある外見も影響していると言えよう。

 

それゆえ、はっきりとした物言いをしても下品にはならず、むしろ媚を売らない潔さから、視聴者から好感や信頼を得るのではないだろうか。

 

 

私は、以前から彼のファンであるため、彼のこのようなスタンスは前から知っていた。それは、彼の好きなところの1つでもあるのだが、一般の方(ファンではない方)からこのような反響があるとは思っていなかったため、とても驚いた。

 

 

この出演をきっかけに、彼にはさらに、「肯定だけではない、味のレポートをしない食レポ」という新しいジャンルを開拓していただきたいところである。

 

 

何でも来いの境地。(とは)

 

KinKi Kidsのファンになって丸9年が経とうとしている今、私は「何でも来いの境地」に辿り着きつつある。

 

 

もともとKinKi Kidsを好きになったきっかけが歌であり、彼らをそういう目線で見てこなかったため(年齢的にも)、「恋愛系の話題」に対しては全くと言っていいほど動じない。もし、彼女がいたとしても、週刊誌に撮られたとしても、結婚したとしても、オールオッケーである。むしろ、何もなさすぎるのが心配な部分もあるため、いい恋愛をして結婚して幸せになってくれ、とすら思っている。ただ、これまで見てきた限り、2人とも結婚できなさそうである…。思うことといえば、変な女には引っかからないで、ということぐらいである。(これは光一さんに対して…かな…)あと、もし結婚しても、一時活動休止とかはやめてくれな、剛さん…。

 

これに近しいところでいえば、「共演者」絡みも何ともない。女性ゲストと親しくしていようが、若い女性ゲストにテンションが上がっていようが、微笑ましく見れる。ドラマでキスシーン的なものがあっても、むしろウェルカム!!ぐらいの気持ちだ。あと、結構苦手な人もいるようだが、片方だけに愛が強い方や片方だけと交流がある方との共演も、普通に見れる。2人それぞれの活動や交友があるから、偏りがあっても仕方ない。ただ、片方への想いが強いのはいいが、もう1人への礼儀がない場合は、人間としてどないやねん、とは思います。

 

 

「ソロ活動」に関しても、この9年でどちらも美味しく楽しめるようになった。最初の頃はどうしても、ソロにはコアなファンが多くて、気軽に踏み込んではいけない、と思う気持ちが大きかった。まず、剛ソロに関しては、当時小学生の私には少し難しく、「わけわかんね〜」と最初は思っていた(ごめんなさい)。だが、高校生になったぐらいに、急にストンとハマった。ケリー最高、FUNK最高。そして、光一ソロ、というよりもSHOCKに関してだが、私はミュージカルというものが得意ではなかった。どうしても、歌いながら台詞を言ったりするのをむず痒いと思ってしまうタイプだった。だから、最初はあまりSHOCKに興味が湧かなかった。だが、初めて生で観て思った、食わず嫌いしてごめんなさい。なぜ、もっと早く興味を持たなかったんだ私。彼らのソロ活動に関しては、好みどうこうというより、作品やステージへの熱量とクオリティに圧倒され、また行きたいという思いが生まれる気がする。ただ、2人の活動ももっと増えると、もっと嬉しいです。ソロも大好きだから、バランス良くやってくれたら嬉しいな。わがままなファンでごめんなさい。

 

 

この9年で1番大きく変わったのは、「ビジュアル」に対してかもしれない。まず、光一に関しては、最初の頃はホストっぽいビジュアルが苦手だった。襟足が長めで眉毛が細い時は、何かナルシストっぽく見えて嫌だった。剛に関しては、最初の頃は髪型が変わった時、過去の写真を見た時、「ん…?」となることがよくあった。例えば、ロン毛だったり、眉毛がなかったり、ヒゲが生えていたり、おばちゃんぽい格好や胡散臭い格好をしていたり、ふっくらしていたり(と言っても一般的に言うデブの比じゃないのだが)、髪の毛の1部が燃えていたり(赤いメッシュ)…。だが、この9年で徐々に、これらがかっこよく可愛く見えるようになってきたのである、我ながら恐ろしい。もちろん好みはあるので、こうあってくれたら嬉しいな、という理想はなくはないのだが、理想通りには行かない感じすら良いと思い始めている。それに、何を言っても、KinKi Kidsは顔が良いのである。どんなビジュアルだとしても。むしろ、これからもどんどん、いろんな顔を見せてほしい。

 

これと少し関連しているが、「年齢を感じる」ことに対しても、彼らも歳を重ねているのだと素敵に思える。おそらく、どれだけ中身がオッサンくさくとも、シワが増えても、白髪が増えても、毛量が減っても、お腹が出てきても、好きでいられる気がする。実際、40手前のおじさんなのである。2人とも、良い歳のとり方をしているなぁ、としみじみ思う。これからも健康でいてくれ、ということを願うのみである。

 

 

このように挙げただけでも、約9年間でKinKi Kidsに対して何でも受け入れられるようになってきた。

 

でも、これは盲目的なものではない。と思っている。

 

私はKinKi Kidsに対して、冷静で第3者的な目線も持っているつもりである。全てが全て大好きでは決してないし、あまり得意としない部分もあるし、全くピンと来ない時もある。

 

だが、それらを否定する気持ちは全くないし、それらも含めてのKinKi Kidsだと思っている。

 

例えていうなら、夫婦が相手に対して抱くものに近いかもしれない。分かち合えないこともあるし、嫌だと思うことがない訳ではない、でもそれも含めて受け止めて愛を持って一緒にいる、みたいな感じだ。

 

それぞれに理想があるのは当たり前だと思う。だが、その理想を押しつけるのは違う。要望はあって良いと思うが、文句や批判を持つのはファンではない気がするのだ。(愛のあるdisりはありだと思うが)

 

タレント側もファン側も人間である。だから、分かち合えないことや解釈の相違があるのは当然である。

 

それを理解することで、イライラやモヤモヤの負の感情を抱くことなく、タレントを応援できるのではないかと思う。正直、イライラモヤモヤばかりじゃ、応援してても楽しくないでしょ?

 

どうしても苦手な部分があっても、それは仕方ないと思うし、それを文句や批判に繋げずに、自分でその部分は回避して、全力で楽しめる部分だけ楽しめばいい。

 

わざわざ嫌な部分に文句ばかりは、ファンとは言わないでしょ、と思う。そういう応援の仕方は、本人たちの活動の妨げに少なからずなっている。嫌な部分は避ければいいし、好きな部分をもっと感じられるように要望を出せばいい。

 

彼らの「KinKi Kidsとしてのプライド」を信じているから、彼らが発信するものは私もまっすぐ受け止めたい。彼らの妨げになるものや、彼らが反発するもの、彼らを傷つけるものに対しては、私も一緒に闘いたい。

 

今のありのままのKinKi Kidsを受け止めて、すべてを含めて愛せるファンでありたいと思う。

 

 

 

こんな風に「何でも来いの境地」に入って、これからも楽しく応援していきたい所存である。

 

 

「寄り」について考えてみる。

 

KinKi Kidsファン界隈では「寄り」というものが存在する。

 

よくTwitterのプロフィールでも「光一寄りだけどftrが好き」「青寄りKinKi Kids派」などという表記をよく目にする。

 

他のグループで言えば、「◯◯担」「〜くん担当」という表現がよく使われるが、KinKi Kidsは2人組ゆえ、「寄り」という特殊な表現が使われがちである。

 

一般的に「(2人とも好きだけれども)どちらかといえばこっちが好き」という意味で使われているのだと私は解釈している。

 

 

ここで、根源を考えてみようと思う。

 

90年代後半頃、デビュー当時のKinKi Kidsは、世の中の女子たちを「光一派」「剛派」に二分していた。

 

それは、当時の2人は(今も少なからずそうだが)、とても分かりやすく「全く異なるタイプの2人組」だったからである。

 

パッと見ただけで、「中性的な美形で王子様タイプの光一」「明るく親しみやすい男前タイプの剛」と分かるような、はっきりとしたイメージがあった。

 

このイメージから、女子たちは自分の好みやタイプに当てはまる方を「〜派」としていたのだろう。

 

人にはそれぞれタイプがあるのだから、外見やパッと見のイメージにより分けられる「〜派」というのは、単純明快で理解がしやすいものであった。

 

 

ここで、少し話は変わるが、私の経験上「KinKi Kidsが好きだ」と言うと、8割方「どっちが好きなの?」という質問が返ってくる。(そして、8割方「その歳でKinKi Kidsって珍しい」と言われる)

 

最初に述べた、所謂「寄り」を訊かれているのである。

 

ここで、私は悩むのである。

 

 

「寄り」ってなんだ…?

私ってどっち寄りなんだ…?

 

 

ほとんどの場合は、「どちらも好き、2人でKinKi Kidsだから」という風に答えるのだが、自分の中で「どちらが好きか」という問いに対して、答えを出すのはとても難しいことなのである。

 

 

事実を述べると、FC会員になる際に選ばなくてはならない「好きなアーティスト」という項目があるのだが、それについては「堂本剛」を登録している。

 

これは、どちらかを選ばざるを得ないため、先ほど述べたビジュアルの好みで選ぶ「〜派」方式で答えを出している。

 

 

はっきりと言えば、ビジュアル・外見・雰囲気という点において、どストライクなのは剛である。一般的に、オタクが自担の外見に対して抱く「かっこいい」という感情・ときめきが多くあるのは剛であり、軽率に沸く。

 

だから、周りには「剛の方が好きなんでしょ?」とよく言われるが、それは少し違う。

 

私のタイプとは少し異なるが、光一の顔も大好きなのである。あの整った美しい小顔を見ると、もはや言葉を失う。なのに、(写真では恐ろしく真顔だが)想像より遥かに表情豊かで、ふにゃっふにゃの笑顔で笑うのである。その光一の笑顔を見ると、私の顔も緩むし、もはや溶けそうになる。(まだ、溶けたことはないが)

 

あと、私が愛してやまないのは、光一の可愛くておちゃめな内面である。あのビジュアルをもってして、所謂「天然ボケ」であり、大人としてのしっかりとした考えや常識を持ちながら、小・中学生の頃と変わらない、少年のような部分も持ち合わせている。それはそれは、とっても愛おしい。

 

また、光一の仕事に対してのストイックさ、一貫した考え方には、畏怖の念を抱く。Endless SHOCKを見ていると、どこまでも彼に着いて行きたいと思うのである。

 

一方で、剛の普段の言動に対しては、ひたすら「かわいい」という感情を抱く。ひとまわり以上も年上の彼を、もはや母性を持って見てしまっている。彼の普段の言動は、アラフォーのおじさんとは思えない。にも関わらず、ここぞという時にしっかり決める男らしさも持ち合わせるのだ。いやぁ、たまらない。

 

そして、彼のあたたかい人柄やありのままで生きていくという姿勢は、私もそうでありたいと思わせる。でも、その優しさの中でごく稀に見られる尖った部分が、人間臭くて大好きである。

 

 

ただただ、2人の好きなところを並べただけのようになったが、結局何が言いたいのかというと、私は剛も光一も同じくらい大好きだということである。

 

 

それぞれに対する好きの〈ポイント〉は異なるかもしれないが、好きの〈大きさ〉は変わらない。

 

結論として、私は「寄り」がない。と思う。

 

 

そして、この好きの〈大きさ〉の偏りが「寄り」 と表現されているのだろう。

 

 

私は、人それぞれ好みがあるのだから、「寄っててもいいじゃん」と常々思っている。

 

(言うまでもないが、どちらかに負の感情を抱き、貶したり謗ったりした時点で、それは「寄り」などではなく、「アンチ」である。)

 

 

たとえ、好きの〈大きさ〉に偏りがあったとしても、どちらもに対しての「好き」が確かならば、それぞれの形で、素直に「KinKi Kids」を応援すれば良いはずである。

 

そこで、変な感情や偏見を持ったり、縛られる必要は全くないと思うのである。

 

「寄り」があろうとなかろうと、KinKi Kidsの2人が「好き」であればいい。

 

それが、剛の言う「KinKi Kids派」なのではなかろうか。*1

 

 

 

 

*1:2015-2016 concert KinKi Kidsの16年元日東京ドーム公演のMCでの発言、DVD・BDに収録

ベーコンレタスではないのだよ。

 

謎のタイトルをつけてしまったが、私がKinKi Kidsを応援している中で常々感じていることを書こうと思う。

 

(決して他人の考え方を否定している訳ではなく、私個人の考え方を述べているだけなのでお手柔らかに…)

 

 

KinKi Kidsは2人組である。

 

そのためか、ベーコンレタスもといBL的思考を持って見られがちだ(私調べ)。

 

 

たしかに分からなくもない。

 

前にも書いたが、KinKi Kidsはベッタリ仲良しこよしするタイプではない。(30代後半の男性に対してこの表現もどうかと思うが)

 

だが、なぜか2人の間の空気感が甘いのである。何か一般的にイメージする「男同士の友情」とは異なる空気感が感じられる。ベッタリではないが、ドライとも言い難いと私は感じる。

 

さらに、普段はベッタリするタイプではないにも関わらず、突然私たちの想像の斜め上を行くことがある。

 

分かりやすいところでいえば、Φコンでのキス*1、Mステ(スーパーライブ)でのスワンソング*2などが挙げられる。あと、これはデビュー前後からだが、自分たちの関係を夫婦に例えたり、お互いを好きだと言ったりもする。

 

また、まだCDデビューもしてない頃に、ドラマ「人間・失格」の中でキスをしたことも、BL思考に発展する大きな要因だと考えられる。

 

 

加えて、これは2人の性格上というのもあるかもしれないが、全てをオープンにしないため、謎な部分が多いというのも妄想を掻き立てられる要因となっているのではなかろうか。語彙力がないのでこんな表現しかできないが、「外部には分からない、2人しか知らない何かが隠されてる感」である。

 

例えて言えば、光一が剛を呼ぶ時の呼び方である。いつの時期からか、公の場では、くん付けで呼ぶようになった。しかし、ごくたまに「つよし」と呼ぶのである。見ている側には、なぜくん付けにしたの?普段は呼び捨てなの?というような謎が生まれる。

 

また、2013年だったと記憶しているが、剛の誕生日前後に収録された堂本兄弟で、剛がクロムハーツのブレスレット(だと思われるもの)をつけていたこともあった。光一はよく身に付けているが、剛とはあまり縁がなさそうなクロムハーツである。見ている側は、もしかして光一からの誕生日プレゼントなの?となるのである。

 

そして、これらの謎は解明されることはなく、いつまでも謎のままなのである。

 

 

このように、BL的思考に行ってしまう要因はあると思うので、分からなくもない。

 

 

だが、私は断じてベーコンレタスではない。

 

 

私は、KinKi Kidsをそういう目線で見たことがないし、そのような妄想をしたことも1度もない。

 

 

私は、2人の関係性が大好きである。お互いへの愛情が漏れ出ている感じが堪らないし、かれこれ20年以上も一緒にいるのにお互いへの興味が薄れない感じも好きである。

 

お互いが好きなんだろうなぁとも思うし、愛情を持って接してるのも感じるが、これはベーコンレタスという感じではない。と私は思うのだ。

 

親友とも家族とも言えない、この不思議な関係性がとても好きなのである。

 

そこには、絶大なる信頼と尊敬が存在している。

 

絶対にお互いを否定することはないし、絶対にお互いを傷つけることもしない。とても自然に、お互いに支え合い補い合う。

 

そして本人たちは無意識なのだろうが、お互いをよく見ている。

 

純粋に「すごすぎない…?」と思うのである。ありきたりな表現になるが、ここまで性格も趣味も違う2人が、20年以上も一緒にやってきていること自体奇跡だと思うのだ。

 

そして、それを羨ましいとも思う。

 

本人たちにとってはごく当たり前で、普通なことなのだろうが、20年以上もの間、たくさんの景色や数えきれない思い出・感情を共有している人がいるということが、とても素敵だと思うのである。

 

これはKinKi Kidsが2人組であることにより、より際立つと思うのだ。

 

大人数グループと異なり、同じ立場で同じ時間を過ごし、感情を共有できるのがお互いしかいない、という事実から、より尊さを感じるのだと思う。1人と1人での共有しか存在しない、だから、分散することがない。

 

 

一方で、2人組であるゆえに、比べられることも多かったはずである。特に最初の頃は、嫉妬 劣等感 様々な感情があったのだと思う。

 

だが、2人はそれらの感情で、自分たちの関係を壊すことはなかった。

 

私は、今のお互いに絶対的自信を持っている2人が好きである。最近のことで言えば、先日のアリーナツアーで、光一は自身のソロ曲「Slave Maker」でギターを持って登場する剛のことを「かっこよかったでしょ?」と言っていたりする。

 

また、お互いに「敵わない」という感情が垣間見えるのも好きである。剛が、光一のブレない強さを羨んだり、光一が、剛の感覚的センスに感服したり。お互いに「敵わない」と割り切った上での尊敬が、そこには存在するのだ。

 

ただただこんな2人が「尊い」のである。私は、こんな2人の関係性が本当に本当に大好きだ。

 

最近に至っては、アリーナツアーやブンブブーンの収録で一緒にいる時間が長すぎたせいか、いつになく相手に対して甘く優しい。私が大好きな2人の甘い空気感がダダ漏れである。(しんどい、いい意味でしんどい)

 

 

でもその関係性は、決してベーコンレタスではないのだよ。

 

 

*1:07年元日東京ドーム公演にて、前日のカウコンで長瀬が光一にキスをした話から、剛が光一から3度キスを奪い、さらに光一から剛へお返しキスがなされた

*2:09年のスーパーライブ生放送にて、歌唱中に何故か光一が剛に迫って行き、剛が迫り返すと何故か後ずさったという事件

私が所謂「KinKi沼」に落ちた過程。

 

※備忘録も兼ねて事細かに書いたためにとても長くなってしまったが、最後までお付き合いいただければありがたい。

 

 

私はKinKi Kidsが大好きである。FC会員になってから、かれこれ8年が経つ。

 

きっかけは2007年12月21日に放送されたMUSIC STATION SUPER LIVE 2007」を見たことである。

 

何気なく見ていたその番組にKinKi Kidsは出演していて、「永遠に」という楽曲を披露していた。

 

その当時、私は小学生だったのだが、KinKi Kidsがジャニーズの2人組であり、どちらも苗字が堂本で、硝子の少年という曲でデビューした、という程度の知識はあった。

 

しかし、硝子の少年以外の曲を聴いたのがこのときが初めてであり、さらに、歌番組で歌を歌っているKinKi Kidsを見たのも初めてであった。

 

このMステを見たとき、私は純粋に「いい曲だなぁ」と思った。そして、歌が上手い2人だなぁと思ったことを覚えている。

 

その当時、周囲にはKAT-TUNやHey!Say!JUMPが好きな友人が多かったが、私は音楽の趣味が渋い(この表現が正しいのかは分からない)ようで、コブクロCHEMISTRYの楽曲をよく聴いていた。どちらも男性デュオであり、バラード曲を多く歌うという点で、KinKi Kidsと通ずるところがある。

 

だからなのか何なのか、一般的に考えて小学生受けはしなさそうなこの曲がすごくしっくり来て、とても魅力的に感じられたのである。

 

また、周りと同じようにKAT-TUNやHey!Say!JUMPがハマらなかった大きな理由のとして、その時の私が持っていた「ジャニーズ」のイメージが挙げられる。

 

深く知らずに勝手に抱いていたイメージなので表現が良くないのだが、「とにかくかっこよさが大事」というイメージだったのである。

 

具体的に言うと、歌は重視しない、上手くなくてもいいしどんな曲でもいい。ダンスをかっこよく踊るためには口パクでもいい。ファンにキャーキャー言ってもらえるように、常に(アイドルとして)かっこつけている。常にキメ顔、甘い言葉、こだわった髪型(だいたいロン毛)。我ながらそこまで言わなくてもと思うが、当時はこんなイメージだったのである。(小学生だったから許してやってください…。)

 

私は、どうもかっこつけている感じが苦手だったようで(今もそうだが)、当時友人たちがかっこいいと言っていた仕草や表情も、私的にはあまりピンと来なかったのである。

 

そういう点でも、KinKi Kidsは私の目にはとても新鮮に映ったのである。ジャニーズだけど踊ってない。ジャニーズだけど歌が上手くて、歌へのこだわりや思いを感じる。ジャニーズだけど全くカメラ目線で歌わない。ジャニーズだけどかっこつけてない髪型・服装(これは剛くんに関してのみだが)。

 

小学生ながらそんなKinKi Kidsがすごく気になり、何となく惹かれて、その後すぐにTSUTAYAKinKi Kidsのアルバムをレンタルするに至った。定番で聴きやすいであろう「KinKi Single Selection」と、その時の最新アルバム「Φ」を借りた。初めてアルバムを聴いた時の感想も書きたいのだが、長くなるのでここでは省略することにする。

 

前述したように、まず最初に、KinKi Kidsの歌と、(私のイメージの)ジャニーズっぽくない飾らなさに惹かれたこと、これが沼への初めの一歩である。

 

 

そのうちに、KinKi Kidsは「新・堂本兄弟」というレギュラー番組を持っていることを知った。日曜深夜という、小学生にとっては見ることの難しい放送時間だったが、VHSに録画して見てみることにした。

 

そして、初めてこの番組を見て抱いた感想がこれである。

 

「何なんだ…このゆるい番組は…!」

 

小学生ながらに思った。これまた私のジャニーズのイメージの真逆を行くような、自然体で飾らない2人のキャラクター。私の関西弁のイメージを覆す(当時の私の知っている関西弁が吉本の芸人と大阪在住の親戚のおばちゃんだけだった)ような、まったりとした関西弁で繰り広げられる自由なトーク

 

2人のこのゆるい空気感に、私は見事にハマった。そして、私は沼に身体の大部分を浸けることとなる。

 

 

それに追い打ちをかけるように、母が「KinKi Kids Dome Tour 2004-2005 -Font De Anniversary-」というLIVE DVDを買ってきた。(言い方が良くないが、本当にできる母である、感謝しかない)

 

KinKi KidsのLIVEを見たことがある方はお分かりであろうが、KinKi KidsはLIVEで1番実力を発揮するタイプなのである(私調べ)。これを見て、ときめかない訳がなかった。ここで、初めて踊りながら歌うKinKi Kidsを見た。「何だKinKi Kids、歌だけじゃなくて踊りも上手いじゃないか…!!」と知った。

 

そして、私はどんどん沼へと沈んで行くのである。

 

 

ここから着実にCDのレンタル、堂本兄弟の視聴を重ね、どんどんKinKi Kidsを知って行くのだが、私の中で沼の深みにズンと落ち込んだターニングポイント的なものがその後にあった。

 

 

それは「2人の関係性を意識し始めた時」である。

 

それは言い換えれば、「剛くんの病気のことを知った時」とも言えるのかもしれない。おそらく、Wikipedia堂本剛のページを見た時にそれを知った。

 

元々人前が苦手で[46]何かあると胃薬を服用することが多かったが、芸能界活動に対するストレスから、CDデビューしたての頃に過呼吸を発症。2000年夏のコンサートツアーにて、ナゴヤドームでの第1部公演の途中に[46]過呼吸の大きな発作に見舞われる。2003年5月の「Dome F Concert」の途中体調不良で倒れたことをきっかけにして、同月、ジャニーズオフィシャル携帯サイト「Johnny's web」にて、自ら過換気症候群[16]パニック障害と闘病中であることを告白した[47][注釈 4]。なお、その後2003年7月に行われた『ずーっといっしょ。』出版記念展覧会の記者会見でも「病気とは長く闘っている。光一にも助けてもらっている。」と発言している[48]。苦しい時を乗り越えた現在は、「18歳からの5年間は死にたいと思っていたが、音楽が僕を救ってくれた。音楽やギターと出会えていなかったら、僕はもう居ない。」と、この“死にたかったが死ねなかった頃”について自身のソロライブや雑誌のインタビューで振り返るようになっている[47]。     Wikipediaより

 

正直、驚きしかなかった。それは、私がそれまで見てきた(2007〜2008年の数ヶ月)堂本剛からは、このような時期があったことが全く感じとれなかったからであろう。

 

これをきっかけに、今までずっと順調にKinKi Kidsとしてやってきた訳ではない、と知った。そして、永久保証がされているKinKi Kidsではない、危うさの中でお互い支え合ってこれまでやってきたのだ、と分かった。

 

(剛くんが病気になったこと以外にもたくさんの壁を越えて今のKinKi Kidsがあるのは分かっているのだが、おそらく最初にぶち当たった大きな壁はこれなのではないだろうか。)

 

ここから、私は2人の関係性を意識し始めたのである。

 

KinKi Kidsは他のグループなどで見られるような、ベッタリ仲良しこよしというタイプではない。例えば、プライベートでも遊びますとか、LIVE中に普通にハグ・キスなどのスキンシップとか、目を見て息を合わせて笑い合って歌うとか、そういうのは一切ない。(むしろ目も合わせないのに息が合うのが怖いくらいなのだが)

 

しかし、その意識が生まれてから、何気ない会話や仕草の中に、お互いへの信頼・尊敬・思いやりや愛情(変な意味ではなく)が垣間見えてきた。

 

言葉を選ばずに言えば、私はこの時までは、うわべの目に見えるところだけを見ていた。単純に、面白いなぁとか、かっこいいなぁとか、上手いなぁとか。

 

だが、この時から、KinKi Kidsに深みや重みを感じるようになり、KinKi Kidsファンがよく言う「尊い」という感情を抱くようになったのである。

 

このことで、一気に私の中でKinKi Kidsという世界が大きく広がったきがするのだ。

 

これをきっかけに私はさらに深みにハマったのである。そしてかれこれ8.9年間抜け出せていない、むしろ抜け出すどころかどんどん沼の底に近づいているのである。

 

 

ここまでお付き合いくださった方には、本当に感謝の気持ちでいっぱいである。

 

 

こんなまとまりも語彙力もない長文を読んでいただき、ありがとうございました。

 

最後に、私がKinKi Kidsにハマったきっかけの曲「永遠に」を宣伝してみます。

 

 

永遠に

永遠に